出力装置

おもったことなど

冬らへん

年末年始はとても平和だったな。関西で年始を過ごして、仕事が始まってからもまぁ上席に対する不満をぶつくさ言いながらも、何事も無く過ごしていた 1月。あの時部長に「もうちょい今期の売上欲しいから緊急で何本か企画立ててよ」と言われて作った企画、数ヵ月後に全部パァ 赤字を出します アーア!余計な先行費用が嵩んだだけだったね ドンマイ 部長

 

1月の末あたり バスガイドさんとかだったか 新型コロナウイルスの国内感染が確認されて その後?クルーズ船内の感染拡大が報じられた頃?かな。でもまだ誰も危機感持ってなかった 以前エボラ出血熱とか発生した時みたいな、遠い感覚だった。

2月初旬も普通に生活していたし 野球のキャンプで宮崎にも行った。ただ、キャンプの時は飛行機に乗った(そういえば乗客がほぼ全員野球ファン丸出しでよかった)ので やや警戒してマスクはしてた。密!なので。宮崎でならマスク買えるかな~と思ってコンビニ行ったら1個(7枚入り)しかなかった記憶があるので、この時点ではすでに東京でも品薄が始まっていたのだな

 

2月後半に入ったあたりで、弊社の経営層が動いた。うちの事業は1か所にお客さんを40~100人集めるため いわゆる「三密」(仏教・密教用語でない)にあたるもんで、リスク回避でさっさと業務停止になった。お陰様で大赤字。予約していた貸会議室のキャンセルフィーだけで2~300万飛んだ。しかしこの時点でも、現場にはまだ危機感はなかった。過敏に反応しすぎだなぁとか うちの関係各所は思っていた。まだね。

でもす~ぐにアルコール消毒液は高騰&品切れになってびびった。

 

記憶では、この頃に開催した飲み会は「個室のほうがいいかな」とお店を選んだような。どっちがいいんだろうね…て感じだけど、まだ感染ルート特定できそうかな、みたいな。

 

2月最後の1週間に、後輩の学生生活最後のオケ演奏会が2本あった。たしか、小池都知事が会見して ちょっと自粛を~みたいな流れになったのがその直前で、この頃予定されていた諸演奏会は、オケによって開催判断がばらついていた。後輩のオケは両方とも開催したけど、同じ大学の伝統あるオケは中止にしてたな…。幸いにも(たぶん)、演奏会で感染者は出なかった。

でも色々対策してたね。このころは、自分も会社で「事業継続するにはコロナ対策が必要」となって悶々と考えていたので、学生がそれなりにきちんと対応していて偉いなあと感服した。スタッフにはマスク、普段手渡しのパンフは置きセルフ、チケットもぎりは無しでスタッフが視認、来場客には事前にマスク着用をお願いする書面を出す(パンフにも挟む)等々。

 

そういうとこはそれなりに気をつけ始めていたけど、やはりまだ一般大衆はそこまでで。演奏会の来場者もマスクをしていたのは半分くらいだった(見る限り)し、2月末にちょっと飲みに行ったときも、人の出はそこそこあった。しかし日中の浅草寺仲見世で、入り口から浅草寺が目視できたのは初めてだった。